公職選挙法により、告示から選挙修了するまでの期間は、候補者の名前の入った文書図画については、選挙管理委員会が認め文書図画しか発行できません。現在の解釈では、WEBやブログも文書図画にあたるため候補者は選挙期間中WEBサイトを更新出来ません。
『選車』『桃太郎』『辻立ち』など選挙事務所では馴染みの無い言葉が飛び交います。
選挙期間中の事務所の様子を皆さんにお伝えし、選挙を身近に感じて頂ければと思いますが、
残念ながら公職選挙法によりWEBでお伝えする事が出来ません。
もし選挙事務所でどんな事が行われているのか興味があったら是非お越し下さい。
次回のブログでは皆さまに嬉しいご報告が出来るよう、頑張ってまいります。
何卒宜しくお願い致します。
2011年3月アーカイブ
今日、後援者の方とお話していると、その方の甥っ子さんが航空自衛隊に勤務され、原発の放水に参加されているとの事でした。
福島第一原子力発電所での放水作業に、自衛隊や消防、東電の社員の方が放射能という見えない敵と戦いながら
命懸けで作業を行っています。
17日に人事院が、福島第一原子力発電所の作業に当たる一般職国家公務員に限って放射線量の許可上限を「100ミリシーベルト」から「250ミリシーベルト」に引き上げる規則改正を行いました。これは放射線量が増加していて、許可量を上げないと作業出来ないということではないでしょうか?
原発の復旧作業にあたっている方々に言葉に出来ないほど感謝いたします。
皆さんが早く家族の元に帰れるようただただ祈るばかりです。
17日(木)JR新杉田駅、20日(日)JR洋光台駅で行った東日本巨大地震救援募金活動でお預かり致しました、297,870円の募金を自民党かながわ県連に渡しました。
自民党より日本赤十字社を通し、被災者支援に活用されます。
皆様のご協力心より感謝致します。
この募金活動では私自身皆様の暖かいお心の触れました。何度も涙ぐみながら募金活動を行いました。
募金して頂いた上、私たちに対しても有り難うとかお疲れ様と言葉を掛けて下さる方が大勢いらっしゃいました。
たいした力にはならないけど、何か支援したい。被災者の方を励ますつもりで行った募金活動ですが、私自身が励まされました。
今支援活動があちらこちらで行われていますが、支援活動が一事のブームで終わらないようにしたい。
被災者全員が元の生活に戻れるまで忘れないようにしましょう。
「がんばれ!日本」だと他人事の様にも感じます。
なので共に頑張ろうと言う気持ちで「がんばろう!日本」と言いましょう。
日本全国民が他人事でなく、一丸となり『チーム日本』としてこの災害を乗り越えていきましょう。
昨日、私の自宅近くの「たきがしら会館」に福島県からの被災者の方が避難されて来ました。
小さなお子さんを連れた方も多く避難されて来たと聞いたので、我が家にあるタオルなどの生活用品や見知らぬ土地に来て不安がっているお子さん達に
姪っ子の絵本が役に立てばと思い横浜市に寄付を申し出ましたが、今の時点では寄付を受けていないとの事でした。
確かに準備が出来ていない段階で、色々な物の寄付を受け付けると収集が付かないのかもと思いましたが、市役所から区役所・町内会に情報が流れてきません。
今回避難された方は、皆さんこの地区は当然初めて。謂わば転校生。不安だらけだと思います。
近所の銭湯や飲食店、買い物するお店、または銀行などの場所に関する情報を市役所が把握出来、きちんと提供されているのかが心配です。
せめてその様な情報だけでも地域で提供させて頂ければと思います。
神奈川県も県営住宅や県立武道館に避難所を設置しました。避難場所だけを提供するのではなく、受け入れ体制を整え、被災者のケアをも行うべきです。
金曜日にあった東日本巨大地震で被害に遭われた方には心よりお見舞い申し上げます。またお亡くなりになられた方には深くお悔やみ申し上げます。
JR新杉田で東日本巨大地震の救援募金活動を行い、194,004円もの募金が集まりました。ご協力有り難うございました。
ズボンをちょっとずり下げた茶髪の男の子が、これしかないけどと申し訳なさそうに募金をしてくれたり、女子中学生達がお財布の小銭を全部寄附してくれたり、募金を行っている私達に対してもご苦労様と言葉を掛けてくれたりと、今日本全国の人が被災地の方々に何か出来る事はないか?と思っている事を、日本人の強い絆を、感じました。
先日友人からこの様なサイトが送られてきました。http://prayforjapan.jp/tweet.html
石原都知事が『日本人のアイデンティティは我欲』と言っていましたが、今回の震災で労わる気持ち・助け合う気持ちを日本人は忘れていません。
頑張ろう!日本全員で。
昨年6月に福島第一原子力発電所の見学と広野町交流の旅行に参加しました。
その際、連絡先を交換した広野町の方々と連絡を取っていますが、未だ取れません。
何処かに避難され、ご無事であることを祈るばかりです。
昨日の地震で皆さま自身、ご家族、ご自宅に被害はありませんでしたか?
私は地震が起こった時に、外出しようとしていた時でした。
最初は弱い揺れを感じ、揺れが何時までも続くのでこれは今までの地震と違うと思い外に出た瞬間に
大きな揺れが起こり、道路が波打つ程でした。
磯子区は一部停電や断水がありましたが現在は復旧しています。でも復旧するまでの間不便で心細かったと思います。
昨日は電車が殆ど不通となり、会社や学校、外出先から自宅に戻れない帰宅困難者が大勢いらっしゃいました。
以前勤めていた会社の同僚や友人も歩いて帰ったとか、帰れずに親戚や友人の家に泊まったとか連絡がありました。
磯っ子レポートvol.05でも帰宅困難者について書かせて頂きました。
それは私が会社勤めしていた時に『実際地震があって、電車が止まったら私達家に辿り着かないよね』と話していたこと、試しに私自身会社と自宅の丁度真ん中10キロ近くを歩いて家に帰ってみたことがあり、普段の靴で長距離歩き続けることの大変さやお水・トイレはどうするのか??など思ったからです。
今回実際に歩かれた方も多くいらっしゃいました。
夜所用で鎌倉方面に車を走らせていたら一地区が停電していました。停電の中、自宅に向かって歩いている方は携帯の明かりだけを頼りに歩いてました。災害時帰宅支援ステーションとなるべきコンビニも停電の為機能していませんでした。
企業は会社に留まることを薦めていますが、家族と連絡が取れず安否確認が出来なければ何としてでも帰ろうと思うのではないでしょうか?
今回は翌日に公共交通機関が復旧しましたが、復旧まで2,3日掛かる場合に地域住民・地域組織の協力が必要です。今の防災訓練は地域住民の間だけで行われているので、行政・住民・企業が一つとなって訓練する必要があると思います。
今回の地震で亡くなれた方のご冥福をお祈りすると共に、被害に遭われた方の一日も早い復興を願って止みません。
今日は松本純先生の後援会総会がロイヤルホールで開催されました。
日中は薄っすら雪化粧する程の雪が降りましたが、総会前にはすっかり雪も止み
多くの方がご参加された大盛会でした。
今国会も大混乱しています。総選挙が何時行われてもおかしくない状態。
先ずは土台となる地方がしっかりとしなければいけません。
その為にも、来月の統一地方選挙では自民党の議席を減らす事ないよう頑張ってまいります。
統一地方選挙の立候補予定者として壇上でご挨拶の機会を頂きました。
挨拶の後、私自分の名前を言っていないことに気づきました・・。
やはり、その後会場で知り合いの方々に「駄目だよ、自分の名前言い忘れちゃ」とご指摘頂きました。
名前と顔を売らなければならないのですが、なかなか慣れません・・。
滝頭・磯子地区の少年野球親睦試合が岡村球場で行われました。
今日の試合は、この春卒業する6年生にとっての最後の試合。
今までの辛かった練習や頑張った試合、仲間との楽しい時間を思い出しながらの試合だったのではないでしょうか?
少年野球を見学する度に思うのが、お休みにも係わらず指導して下さるコーチ・審判の方々、又お手伝い下さる父兄の方がいて下さるので小学生達が安全に楽しく試合を行えることです。
私も、中学・高校時代に部活でバレーボールをしていました。
練習ではコーチにしぼられ、何度も「この鬼コーチ」と心で恨んでいましたが、今思うと大切な自分の時間を削って練習を見てくれたんですね。今度お会いしたら感謝の気持ちを伝えたい・・。
磯子公会堂で老人クラブの連合会「いきいきクラブ磯子」主催の演芸大会が行われました。
64チームの方が参加され、コーラスや独唱・社交ダンス・フラダンスなど演目は盛り沢山。
87歳の男性が「王将」をアカペラで熱唱する場面も。歌声にも力があり、とても87歳には見えません。
「いきいき」という名前の通り皆さん本当に生き生きされていました。
何か生きがいを持つのは素晴らしいことですね。
この演芸大会で何よりも私が好きなのは、どんなハプニングがあっても動じない司会です。
出演者が現れない!テープが頭だしされていなかった!などのハプニングにも動じず落ち着いて司会をされています。
流石、人生経験豊富な「いきいきクラブ磯子」の方だと感心してしまいます。
皆さんが芸達者な余り、見終わった後に写真を撮るのを忘れた事に気づきました。
頂いたプログラムの写真を撮りました。このプログラムを見ると演目の多さに驚きますよね?